一般社団法人LIFE IS ROSEと西武池袋本店のコラボ企画『五感で旅する世界旅行』オンライントークイベントより、森下仁道さんのインタビュー【前編】をお送りします。MCは稲川雅也さんが務めました。
―稲川:簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?
森下:1995年生まれ、出身は「美観地区」や「桃太郎」で有名な岡山倉敷市です。僕が生まれてから暫くして、父親の関係でオランダで過ごしていました。当時は小野伸二選手がオランダで現役プレーヤーとして活躍されていたので、その影響で僕はサッカーを始めたんです。日本帰国後も高校1年間を休学して、インドネシアにサッカー留学していました。
―高校で留学ってできるようなもんなんですか?
僕が通っていた高校は120年の歴史があるんですけど、休学して留学した生徒は今までにはいない感じでした。
―そうですよね。大学生で休学っていうのはよく聞くけれども、高校生でそのルートを選ぶってのは、なかなか挑戦でもあるように思うんですけど。
高校2年生終わったタイミングで休学したので、部活動最後の集大成みたいなタイミングで抜けちゃったんです。帰ってきた時に1個下の生徒と勉強しないといけなくて、先生からは色々気を遣っていただいたのか一人だけ敬語使われてましたね(笑)
―そうなることも予想できたとは思うけど、それでもインドネシアに行きたかったと!その後は、筑波大学に入学されていますね。
筑波大学は、大学で唯一「オリンピックの金メダリスト」と「ノーベル賞受賞者」を出している「文武両道」の大学なんです。そんな素晴らしい環境のもと、素晴らしい仲間に恵まれながら、4年間サッカーをやってました。部員も100名以上いて、1軍から大体6軍まであって。プロを目指す奴も勿論いるので、みんなで切磋琢磨していましたね。
そして、ここからがメインの話になるんですけど…僕は学生時代「アフリカっていう国」があると思ってたんですね(笑) そのくらいの薄っぺらーい知識だった僕が、アフリカでサッカーをすることになった話をします。最初に滞在したのはザンビアムで、そこからタンザニア、ルワンダ、ウガンダ、ケニア、南アフリカにも行ってるんですけど。まず、なんでアフリカに行ったのかと言うと、大きく分けて3つありました。
まず一つ目が、アフリカでのローカルの生活を自分で経験してみたかった。高校時代に過ごしたインドネシアも新興国ってことで、日本とこんなに違うんだってことを肌で感じたし。なので一年間、ホストファミリーとローカルの生活をしていましたね。2つ目は、ずっと目標にしていたサッカー選手として活躍すること。ザンビアでいろんなクラブのトライアルを受けて「あなたが欲しい」と言ってくれたのがザンビアのJ-1クラスのチームでした。
―在学中に、日本を通り越して海外でプロデビューしてしまったってことか!なんか仁道君のキャリアを聞いてたら、こんなにサッカー選手って振れ幅広かったかな?自由度高かったな?って思っちゃいます(笑)
そして3つ目がインターン活動。僕自身サッカー指導者としてのライセンスを持っていて、筑波大学にいるあいだも近隣の小学校の子供たちの指導に携わっていまして。加えて、僕の大学での学問分野は「スポーツを通じた国際開発」というもので、いわゆるスポーツをツールに貧しい地域を改善していこうという学問でして。スポーツ指導者としてNGO団体だったりでインターンさせてもらいながら、現地の子供たちや指導者と交流していました。
―なるほど。サッカー選手をやりながら、ローカルに住みながら、インターン活動もしていたと…かなりハードですね。
ゲストプロフィール:
森下仁道
1995年生まれ。筑波大学国際総合学類卒業。在学中に休学し、ザンビア共和国でプロサッカー選手としてデビュー。
幼少期をオランダで過ごし、サッカーをはじめる。17歳の頃高校を1年休学しインドネシアにサッカー留学。帰国後は筑波大学に入学し、体育会蹴球部(サッカー部)に入部するも夢だったJリーガーになれず1年休学し、アフリカへ。2019年1月ザンビア共和国のトップリーグ所属「FC MUZA」とプロ契約を締結し、同年3月プロデビュー。
選手活動以外にも「スポーツを通じた国際開発」分野のNGOやスポーツ組織でのインターン活動、パーソナルトレーナー起業など精力的に取り組む。現在は再度アフリカンリーガーになる挑戦に向け準備中。挑戦の様子をお届けするYouTubeチャンネル【JinDo】を先日開設。トビタテ9期生、第5回トビタテ留学成果報告会最優秀賞、特別賞受賞。2020年筑波大学校友会賞受賞者。